易経に学ぶファシリテーション(15)
■ファシリテーターとしての第一段階「潜龍(せんりゅう)」の時代
今回から、6回ぐらいの掲載は、私自身がファシリテーターとして、育ってくる過程をふりかえってみたいと思います。「潜龍」の時代から、ピークを迎え「亢龍(こうりゅう)」の時代まで達しているのかどうかわかりませんが、少なくとも年をとってしまった自分をふりかえるいい機会として、「乾為天」の6つのプロセスの教えを手がかりにふりかえってみたいと思います。
さて、「潜龍」とは龍の能力を秘めてはいても、まだ時を得ず、力もなく、世に現れることもできない龍の時代と書かれています。それは、何かの世界に飛び込み、本格的に動き出す前の時代と言っていいのかもしれません。「潜龍」の時代は、季節でいうなら、冬の時代であり、何も芽生えない冬の不毛の大地の状況です。冬の大地が春に備えて滋養を備えるように、動かず、静かにじっくりと内面の力を養う時だそうです。
その時に何をするのか?ここで一番大切なのは「確乎としてそれぬくべからざるは、潜龍なり」と書かれており、「確乎不抜(かっこふばつ)」の出典になっているようです。この時代にしっかりとした、抜きがたい、ぐらつかない志を打ち立てることが大切になるのです。
思い起こせば、ラボラトリー方式の体験学習に触れるきっかけになったのは、名古屋大学大学院の博士前期課程を修了したその年に、南山短期大学人間関係科に非常勤講師として伺うことになったことからです。当時は、1週間に2コマの授業が2回ぐらいあり、前期の半分で一つの科目が終了するといったかなり大学の教育では異例な画期的な授業形態をとっていました。さすがにこの私もこの授業形態に面食らいました。2コマ続きの授業自身、自分が経験していないし、実習などの体験をした後、ふりかえり用紙というものに、自分の気持ちや気づきを書くことも驚きでした。それを「わかちあう」という言葉も・・・。2年ほど非常勤講師時代を過ごし、常勤講師として着任が決まったのが、1979年の4月でした。着任する前のその年の2月にJICE(立教大学キリスト教教育研究所)主催のTグループ(人間関係トレーニング)に参加することを促され参加したのが、本格的なラボラトリー方式の体験学習との出会いでした。
面食らった中に、当時、初代学科長のメリット先生からは、非常勤時代も含め、「講義はしなくてもいいです。学生の体験を大切にしてください。」と言われてもなんのことかさっぱりわからないことが多かったのを覚えています。もともと社会心理学専攻の私としては、どんなモデル、理論を教えようかとかとわくわくしながら考えていました。どのような流れで15週の授業を進めるのがいいのか、いろいろ考えていた私には、「教えなくてもいい」は思いがけないメッセージでした。
そして、2月に参加したTグループ体験後すぐに、着任前の3月に学生のTグループにトレーナー(ファシリテーター)として参加してくださいと言われ、にわかトレーナー(ファシリテーター)体験をすることになってしまったのです。すでに、人間関係科の授業では、教師(ファシリテーターという意識は当時していなかったのですが)ではあったのですが。この5泊6日の濃密な学生との体験、また一緒に組んでくださったもう一人のトレーナー(ファシリテーター)の方との体験が、まさに何もわからない沼地に入っている潜龍のごとく、手も足も出せない状況であったことを今でも鮮明に覚えています。老練なトレーナー(ファシリテーター)は、私から見ると、学生たちを赤子を扱うように、グループ内の関係を濃密にしていったのです。ただ、その過程で起こっている、まさにプロセスは、参加者である学生、またともにいる私(コ・ファシリテーター)にとっては、暗闇の世界での出来事だったように思えたのです。
そのような苦しい状況の中で、「グループのプロセスをていねいに扱い、グループメンバーとともにそのプロセスを大切にしながら学ぶことができるようなファシリテーターをめざそう」と堅く心に誓ったのが、この時でした。あれから35年。まさに、私が、35年来実現しようと努力してきた志です。「確乎不抜」。この志の実現をめざして、ここ35年あまり、ラボラトリー方式の体験学習のファシリテーターをめざしてきたのだと、いま改めて強く思っています。まさに、このときが、「潜龍」の時代だったのではないでしょうか。