人々の記憶に残るつんつん。彼は何者だったのか。なにを考え、なにを思い、私たちに、そして世の中になにを問い、なにを投げかけ、なにを望み、なにをめざしたのか。つんつんの歴史を紐解き、彼の人柄を偲び、彼の託したことを知るページです。
津村俊充のあゆみ
生誕から南山短期大学での勤務が始まるまで
徳島県徳島市に生まれる
一人っ子で両親の愛情を一身に受けて育つ。どちらかというと人見知りの子ども時代。
高校では軟式野球に所属。
音楽が好きで友人とグループを結成して楽しむ。
カメラ、写真の魅力に惹かれ、一時はプロカメラマンを目指した事もあった。
徳島大学教育学部入学
当時、学生運動の真っ只中で授業がまともに行われない状況だった。
心理学研究室に所属。
サークルは「青少年研究部」を教師を目指す仲間と創る。学童期の子どもの成長発達について教育、心理など様々な面から学ぶことと、実践として、子ども会や地域の保護者達と子どもを取り巻く環境についてなどの座談会を開く、夏休みには小学校を借りてサマースクールを開催するなどの活動をする。
[このサークルで、2学年後輩の久代と出会う]
大学を卒業 名古屋大学大学院へ
名古屋大学大学院教育心理学専攻博士前期課程修了
南山短期大学非常勤講師を勤める。
[久代と結婚]
南山短期大学人間関係科専任講師就任
ラボラトリー方式ので体験学習が実践される教育の現場で、人と人の関わり方についての考え方についてその後の人生につながる大きな影響を受ける。
- 「人間の尊厳」の精神
- 「一隅を照らす」という人間観
- Tグループに出会ったこと
助教授就任
人間関係科の授業はユニークでグループでの取り組みが多く、合宿も度々計画された。一学年全体がいくつかの民宿に分かれて宿泊し、一週間生活を共にしたり、御岳休暇村での合宿ではいろんな目的で集まったグループで活動。教員も学生も一緒になって時間を過ごすので、相互の信頼関係がより密になり、名前をニックネームで呼び合うなども自然なことになっていた。
アメリカ マサチューセッツ大学に留学
大学院でJ.ウェンシュタイン教授のもとセルフサイエンスを学ぶ。NTLにてラボラトリー方式の体験学習のトレーナートレーニングを受ける。
[家族も2ヶ月遅れて渡米、マサチューセッツ州サウスディアフィールドで生活する。 長女は地元の小学校一年生に長男は幼稚園に通う。日本人がその町で暮らすのは初めてとのことで町の人々は親切に接してくれて、アメリカの文化を楽しみながら過ごす]
[帰国する前の夏休みに家族で35日間かけて全米一周キャンプツアーに出かけた]
帰国
[帰国後は日進市に建てた家で、両親、叔父も一緒に夫婦と子ども3人で、みんなで8人の大家族生活が始まる]
南山で過ごした日々 (ニンカン→心理人間学科→教育ファシリテーション)
南山短期大学人間関係科 教授に就任
実践することでの体験から得る学びだけにとどまらず、それをさらに概念化していくことにまで繋げていく研究活動も大事にしていたので、論文にまとめたり、ラボラトリー方式の体験学習を世の中に紹介し、それを核にした教育の取り組みの過程や成果を発表していくため執筆にも力を入れた。
南山短大学園祭
毎年大盛会。教職員も全面的に協力を惜しまず、共に楽しむことにも全力投入の様子がなんとも温かい雰囲気。つんつんは学生達と一緒に野外に設置したステージで、音楽を演奏するのを大変楽しみにしていた。もともとギターを弾き歌うことが大好きだったので血が騒いだのだろう。先生達がメンバーという異色バンド、「センセーズ」が存在していたことも懐かしい。マスコミの取材もあったとか。
4月に南山短期大学人間関係科は南山大学人文学部心理人間学科へと移行
心理人間学科教授に就任。
教育過程は4年間になりゼミ指導も加わる。
キープ協会と協働したプログラムが始まる
南山大学大学院教育ファシリテーション専攻が開設 同教授に就任
南山大学人間関係研究センター長就任。
大学院設立にはいろいろな苦労もあったようです。
長年の念願叶って文部科学省からの認可が降りた時は本当に嬉しそうでした。
「教育ファシリテーション」というように名前に漢字以外の文字が入ったのはこれが初めてだということでした。
社会人としての経験がある学生も加わり研究活動はよりさまざまな分野への取組みに発展。
社会にはばたく プロセス・エデュケーション
ヒューマンコラボレーションセンター(HCC)を開設
プライベートで、オフィス・研修所を兼ねた人々が集えるフリースペースとしてオープン。
JIEL(日本体験学習研究所)を発足
任意団体として、ラボラトリー方式の体験学習を用いた研修、研究会活動を始めた。
還暦を迎え、学部卒業生、指導生、院生の方達が還暦祝いパーティーを開いてくださいました
日本人初のNTL Institute International Member として認められる
自らもNTLでの研修に参加。
3月南山大学を退職
4月一般社団法人「日本体験学習研究所 (Japan Institute for Experiential Learning: JIEL)」を設立
主な活動
- 公開講座
- 交流から学ぶ「研修会・学びのコミュニティ」
- 受託研修「コンサルテーション」
- 機関紙発行
研修、講座に全国各地から参加してくださった方々にご支援ご協力をいただき、ラボラトリー方式の体験学習を全国に広げていく企画として、現地での「基礎講座」を出張開催。
〜まさに東奔西走〜
ナラティヴ・セラピー研修(ニュージーランドで開催)に参加
ナラティヴ・セラピーの世界的研究拠点となるNZワイカト大学の教授陣から、リアルで講義を受ける機会はとても貴重な学びになった。
帰国後すぐ、共に受講した仲間に参加を呼びかけてグループを作り、オンラインで読書会を開く。それから以降も、継続してナラティヴ・セラピーを学び,深めていく事に繋がっている。
JIEL5周年記念祭を清里「清泉寮」で開催
コロナウイルス感染が拡大 オンラインでの講座が増える
愛知ー徳島の二拠点生活
徳島の実家を「阿波サテライトオフィス」にし、通信環境と機材を整備してオンラインでの講座に備える。
徳島に滞在中は農業体験も満喫。種蒔き→育苗からチャレンジ
天候の影響も受けて思うようにはいかないことも経験しつつ、自然の持つ力(生命力 ) にふれて感動
この年の秋ごろから体調に変化が見えはじめる。医療機関の受診を気にかけながらも、12月年内に予定されていた研修を全部終えてからクリニックで検査を受ける。
年明けすぐに胃がんの検査結果が出る。
名古屋に戻り病院を受診。
手術が必要になりそのための準備の検査。
2月に手術 術後に抗がん剤治療開始。
前向きに治療を受けて経過もよく、日常生活では制限されるものは特に何もなかった。
通院での投薬治療をしながら,その間は徳島との行き来も再度できるようになる。
コロナがさらに拡大して世の中が閉鎖されたような状況になる。JIELの講座も対面での開催はできなくなったものの、オンラインだからこそ全国各地からの参加が可能になった方もいて、新たに仲間が増えたことはJIELの活動の広がりでもあり、嬉しいことでした。
6月末ごろ再度体調に異変が起こり、入院。7月末近くに再手術が決まる。
それまでは皆さんにご心配をおかけすることが心苦しく病床にあることを話すことを敢えて控えておりましたが、やはり自分からきちんとお伝えする時がきたことを心に決めて公表。
多くの方々から励ましのメッセージが届き、手術に臨むのに力をいただいたことを感謝。
手術の結果、胃から栄養を摂ることが難しいとのことで、経腸栄養に変えざるを得なくなった。
本人にとってはとても辛い状況を受け入れなければならなかった。
そんな中でも、入院中も病室からオンライン講座を開くなど、前向きに取り組んでいた。
今、自分にできる可能性があるなら、一つひとつをやり遂げることで、その先に希望を見出そうとする強い気持ちが見えた。
そして、さらにラボラトリー方式の体験学習にナラティヴ・アプローチを取り入れた今後の展開について進化した構想を考え続けていた。
ICTを活用して情報発信。
- ポッドキャスト
「つんつんの甘っちょろ人生」
「つんつんとカッキーのやっちゃいました」 - YouTube
体験学習について動画で紹介
どんな時でも「プロセスに学び プロセスに生きる」という自分の信念を貫いたあゆみでした。
年明けから体調が悪化
1月20日 永眠 (自宅にて)
70年間の人生を通じて、とてもたくさんの方と出会うご縁をいただいて皆さんからご支援いただき、共に歩んでくださった事に心より感謝いたします。
つんつんもまた皆さんと出会えたことはありがたいご縁のあることで、精一杯の心をもって繋がりを大切に過ごしたと思います。
そして今は皆様のお幸せをお祈りしていることと思います。
ありがとうござました。
(津村 久代)