易経に学ぶファシリテーション(03)

■四季と時中のお話より■
 易経のお話を聴く中で、あっこちゃんが何度も言っているのが、「(大)自然に学ぶ!」ということです。時は、春夏秋冬巡ります。春には春のことをする。冬には冬のことをする。その時にぴったりとあたることをすることを「時中」というそうです。その時の「時流」に乗ることとは全く異なり、時流に乗ることは、時流とともに滅びるとのことです。これがタイトルとなっているのが竹村さんの新刊「リーダーの易経」の帯に「龍が教える帝王学(乾為天)時流を追うものは時流とともに滅びる 時中を観よ」と書かれています。すでにこの言葉にグサッときますね。寒く冷たい季節の中で、種を植えて早く育てよと力を入れても実を結ばないということのようです。
 易経のお話の中で、竹村さんが何度も伝えていらっしゃったのが、易経は、たとえの話です。そう!この隠喩を通して、何を私たちが学ぶかと言うことが大切になるということです。その冬の季節には、冬枯れた草木が土に落ち、春に種を植えられそれが十分に育つための豊かな土地を耕すときといえるのでしょう。それは、力を備えるチャンスの時とでも言えるでしょう。
 こうした時は、グループ体験の中にも結構あります。きっと経験された人がいると思います。それは、始まりの時、春夏秋冬、いつも春から始まるとは限りません。グループが生まれ落ちた季節が、冬の時かもしれないのです。また、グループが展開していく中で、疲れ果て、立ち止まり、前に進むことへの力が乏しくなってきている時があるかもしれません。その時に、ファシリテーターが一人、がんばってこのグループを何とかしようと働きかけてもグループのメンバーには意味をなさないことがあるのではないでしょうか?
 最初の一人ひとりが不安な気持ちで集まり、グループの目標を形成しようとしている時に、なんとか目標を作らせようとして、いろいろと働きかけても無駄な力かもしれません。ファシリテーションとはそのような時にある働きかけが必要なのでしょう。このことを易経が教えてくれています。目標づくりより前に、一人ひとりが今どのような思いでここ(グループの中)にいるのか丁寧に掘り起こし、一人ひとりの力を耕すことが必要なのでしょう。グループ活動の途中でもそのようなことが必要なときがあります。
 「四季と時中」まさにグループの四季を観て、時中である適切な対処ができることがファシリテーションの極意でしょう。
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