ラボラトリー体験学習を考える:BEGと比較しながら(5)
時間が経つのは、早いです。前回ブログに書いたのが、4月17日(木)、あれから1週間が経ってしまっています。なんと日々の時間が過ぎ、その時の流れの速さを感じています。
今日は、ラボラトリーとBEG比較第5弾です。あまりシステマチックに、書いていないので、よく似た話になってぐだぐだになっている可能性がありますが、お許し下さい。
とある合宿で、興味深い話し合いがありました。
Tグループのねらいづくりをしているときに、「ともにあること」という言葉を使うかという話になったときに、BEGを衷心に広く社会で実践・活動されているファシリテーターの方から、「ともにあること」は「一人でいたい人が一人でいられない感じがする」と少し抵抗感を話されたのです。集団への拘束力感といったらいいのでしょうか?「ともにあること」は、集団でいることの束縛感のようなものを感じられるようです。
比較、Tグループのねらいの中で、また活動報告の中で、「ともにあること」という言葉は使っていると思うのですが・・・
一人でいたいと感じる人がいるときに、一人でいることができるかどうか?その安心感や安全感があるかといったことが、BEGの中では大切な視点のようです。いかに自由でありのままでいられるかということを大切にしていると言ってもいいかもしれません。
ラボラトリー、Tグループの中では、「一人ひとりの価値観やありようを大切にしながらいかにグループの中でともに生きられるか」といったことがテーマになっていると考えています。いわば、日常生活の縮図としてのラボラトリーがあり、その中でプロセスに気づきプロセスと向き合いながら生きることを通して学び、ともに生きる世界を日常の場面にも創り出すチェンジエージェント(Change Agent)が生まれることを期待しているのです。
そういう意味では、BEGでは、日常生活のしんどさの中から抜け出し、できる限り一人ひとりありたいようにあるがままに時間と空間を過ごす、それが受容される仲間体験が尊重されているのかもしれません。
このことは、「メンバーに新しい行動へのチャレンジをどの程度促す働きかけをするか」といったファシリテーターの介入にも違いが生まれてきそうです。
極力、「挑戦」は避け、もちろんメンバーが望むならば「挑戦」もよしとするといったのがBEGでしょうか?ラボラトリー、Tグループでは、少しメンバーに「挑戦」をプッシュする働き(介入)をする傾向が強いかもしれません。
これらのことは、以前にもお話ししたグループの中で、グループのねらいであったり、個人のねらいであったり、具体的なねらいをもってそれに向かうTグループの特徴と言ってもいいのかもしれません。
ある方向性をグループで創り出しともに生きることを目指すTグループと、一人ひとりがあるがままグループという中で生きることを目指すBEGの違いをこれらのことから見いだすことができそうです。