Tグループとは No.075 誕生から75年さらなる発展のためのパラダイムシフトに向けて:ナラティヴ・アプローチ(Narattive Approach)とは(3):「ナラティヴ」とは

 「ナラティヴ」という形式について、野口裕二さん(2002)は、著作「物語としてのケア」で、丁寧に記述してくれています。「言葉は単独でも人々の生きる世界を変えてしまうほどの力をもっているが、それらがつなぎ合わされるとき、さらに大きな威力を発揮する。それが、『ナラティヴ』という形式である」と。

 本稿にご関心を持たれましたら、「物語としてのケア ナラティヴ・アプローチの世界へ」(野口裕二著、医学書院、2002)を、是非、お読みください。野口さんは、以下のように「ナラティヴ」を説明してくれています。

 「ナラティヴ」という言葉の意味には、大きく「語り」と「物語」という二つがあります。前者は行為としての「語る」という意味であり、後者は「語られたもの」の形式や構造を指しています。

 「語り」と「物語」はこうのように区別される関係にありますが、同時に、それらは相互に連続する関係にもあります。

 「物語」は、「語り」から生まれますが、「語り」が「物語」から生まれる場合もあると考えられます。自分の生き様を語り、その語った物語がその人の語りに影響を与えることがあります。

 野口さんは、「『語り』と『物語』のこうした相互的かつ連続的な関係を一言であらわす言葉、それが『ナラティヴ』という言葉なのである。『ナラティヴ』という言葉は、『語り』と『物語』を同時に指し示している。」と記しています。

 私たちは何かの出来事に出会い、その出来事についてひとつの「物語」として理解できたときに、その出来事を理解できたと考えます。「物語」は混沌として世界を理解しやすいひとつのかたまりとして意味を与え、了解可能にする働きがあります。「物語」は。現実を組織化する働きがあるのです。

 「科学的説明」と「物語的説明」とを対比的に、野口さんは記しています。「科学的説明」とは、こんな条件の時にこのような結果が起こると説明します。一般的に原因があって結果があることを、必然の世界として説明されるのです。あなたがそうなったのは、これがあったからですと話されるのです。もうその説明では、別の要因による説明は無く、未来はないと言ってもいいかもしれません。

 一方、「物語的説明」では、偶然としか言いようのない出来事と出会い、その後また思いがけない出来事が起こったり、必然ではないかと思う出来事に出会ったりしながら、偶然と必然が積み重なりながら説明されるのです。野口さんは「必然の論理だけでは説明できない何かを説明してくれるものが、『物語』なのだ」と記しています。

 私たちは、どうしても「科学的説明」を求めやすいところがあり、何か問題が起こると原因を探したくなります。そして、その原因は、私が原因(自責)か、私以外の他の要因(他責)か、といった追求が始まります。

 K.ガーゲンによる「言葉が世界を創る」といった社会構成主義の考え方から見ると、「問題だ」と話すことは問題である世界を創ることになり、「誰の何が問題だ」と話すことによって、問題となる原因を探求する世界を創り出すことになります。

 K.ガーゲンは、「私たちが『問題』として『構成』しているすべてのものを、『チャンス(機会)』として『再・構成』することはできないでしょうか?」と投げかけています。問題のあるストーリーをチャンス(機会)のストーリーと再構成するアプローチをナラティヴ・アプローチと呼ぶことができるのではないかと考えています。(つづく)