Tグループとは No.010 米国NTLでのTグループ「いつまでトレーナーをするの?」

 1985年8月に米国に向けて出発しました。家族より一足先に出発して、8月の1ヶ月をアメリカ合衆国バーモント州ウィンダム郡BrattleboroにあるSIT(School for International Training)にて語学研修を受けるためです。私は語学研修だけの滞在でしたが、SITの大学院では、組織開発や国際協力にかかわる体験学習を用いたマスターコースがあり、私が出掛ける数年前に星野先生が大学院の授業に一年間参加されていた経緯もあります。このSchoolは、語学学習も体験学習を通して学ぶ的なプログラムが準備されていました。

 現在、明治学院大学で持続可能性を目標としたまちづくりのコンセプト、またはコミュニティについて研究や国際平和研究として戦争を止める研究を実践的・意欲的に行い世界的に活躍されているMegumiさん(私はめぐみちゃん)ともこのSchoolで出会いました。彼女は国際協力分野のマスター(修士)を取得すべく頑張られており、彼女との出会いは、帰国後も続き、1985年以来35年にわたって交流を続け、コミュニティづくり、平和の教育実践など彼女から刺激を今もなおもらっています。また、同時期に、海外研修で第二外国語教育のマスター(修士)をとるために清風学園よりSITに来ていたMikioさん(みきおと呼んでいました)とも出会い、つんつんはその後、マサチューセッツ州のマサチューセッツ大学Amherst校に一年間の滞在するのですが、居を移したあとも交流をしていただき、共に学び合った仲間として、Megumiちゃんと共に忘れられない二人になっています。

 私自身は、そこで語学の研修だけでなく、家族を迎えるために、アパートメントを借りることと自家用車の購入をするための期間でした。

 さて、マサチューセッツ大学でのことは、また別の機会として、半年ぐらい経った1986年3月8日(土)から3月14日(金)まで6泊7日のNTL主催の「Human Interaction Laboratory(T-group with ski)」がColorado州にて開催され、参加しました。

 1979年2月のTグループ初参加から翌月Tグループトレーナー体験、それから6年経過したタイミングでNTL主催のTグループに参加することができました。6年間のトレーナー体験からは、トレーナーは参加者ともあまり親しく話をしないで距離を置くとか、“今ここ”に焦点をあてて“今ここ”から外れないとか、メンバーの関わり方の問題(課題)と思われるところを明確に指摘するとか、かなりトレーナーという役割はトレーナーと呼ばれるだけあって指導者として存在し、メンバーとの境界は明確にすることをトレーナーに要求されていると考えていました。

 当時は、そうしたTグループ像やトレーナー像があって、それに合わせて動こうとしており、とても窮屈に自分をさせていたのだと思います。

 ところが、NTLのTグループのプログラムに参加して、Tグループのトレーナー(トムさん)と出会い、今まで抱えていたトレーナー像を覆させられたのでした。彼は日系2世でしたが、私がうらやましく思うくらい非常に自由に行動していたのです。セッションの合間にも度々声をかけてくれたり、初日の夕食の時にも「どこから来たのか?」「アメリカでは何をしているのか?」などと話しかけてくれたのです。「私にはうらやましく思えるほど自由ですね。」と話かけると、自分もリラックスして自由にいられるようになるまでずいぶん大きな壁にぶつかったことを教えてくれました。彼によると、私が考えていたような型にはまった不自由な教師の立場にある人も結構多いとも話してくれました。

 大きな出来事として、Tグループのセッションが数セッション進む途中、トレーナーのトムさんが、私に「いつまでトレーナーをするのか?」と私に投げかけてくれた質問でした。彼は、私が日本で数年Tグループのトレーナーを経験してきていることを知っていたからそのような発言をしたのかも知れないが、どこがトレーナーとして動いていることか私には皆目見当が付きませんでした。

 トレーナーをしていることなど考えたことなど無かったからです。いやそれ以上にグループの中でメンバーとして楽しんでいました。半年ぐらい米国で暮らせば、英語が少しはわかり、話せるようになっているだろうと思って、3月のTグループを申し込んでいたのですが。ところが、セッション中の会話が皆目わからないのです。セオリーセッション中の概念的な説明に関してはまだわかるのですが、日常的な会話になると急に難しくなるのです。

 その結果、私は、「今あなたは何を言ったのですか?」と何度も聞き返していたことがどうもトレーナーの働きをしていたことだったということがわかったのです。これは大きな気づきと驚きです。トレーナーの働きは、わからなことをわからないと伝え、もう一度聞き直す。このことはコミュニケーションの基本の基本ですね。なんだ!!このことがトレーナーの機能だとしたら、もっと肩の力を抜いて、メンバーと関わることをしてもいいんだ!!と。

 それ以来、トレーニングの場で、また教育の場で自由にいられることが私の大きな課題になったのです。それはとりもなおさず、自分はトレーナーだ、先生だという意識よりも一緒に学んでいくという態度を養っていく必要性を強く感じさせてくれたのです。そのトライは、同年8月にNTL主催で開催された「TPLE:Training Program in Laboratory Education」の課題ともなり、幾分自由な気持ちで参加することができ、アメリカから帰国することができたのです。(つづく)