Tグループとは No.008 恩師の死去のためにTグループを離れる
私にとって、Tグループ体験で本当に申し訳なく思っている体験が1つあります。大事なTグループの場から1日離れてしまったのです。やはり南山短期大学人関生のTグループの場でした。
1974年4月に、名古屋大学教育学部研究生として、四国徳島からの一人の徳島大学教育学部卒業生を受け入れて頂き、1年間知覚心理学の領域の卒業研究を書いた学生を社会心理学の領域の研究の基礎的な指導から、プライベートのことまでいろいろと教えていただきお世話になったのが故O教授でした。
そのO先生の体調が急変し、突然亡くなられたとの訃報が入ったのがTグループの中日あたりでした(1983)。かなり思案をしましたが、名古屋大学時代の同期、先輩の皆様から帰ってこないのかとの連絡をもらい、学生のみなさまに本当に申し訳なかったのですが、夜のセッションの終了までTグループに参加し、夜おんたけを下り恩師の枕元に辿り着き、翌日お見送りをするまで時を共に過ごさせていただき、夜のセッションに間に合うように車を飛ばして走って帰ってきたのでした。恩師の最後を多くの人たちとお見送りすることができたことは、今でも飛び出してよかったと思っています。
ただ一方、おんたけでのTグループのセッションに戻ってみると、その場は飛び出したときとは全く異なる景色の中に舞い戻った感覚でした。一人の学生を巡って、また他の学生も影響を受け、とってもつらい現場に立ち会わざるを得なくなっていたのです。「何が起こったのですか?」「あなたは、今どんな思いをしているのですか?」「トレーナーは何を伝えたいのですか?」など、いろいろなことが頭を巡りながらも、そのことについて、その状況の中で、つんつん自身が問いかけることができなかったのです。トレーナーの存在の大きさに圧倒的に影響を受け、自分の中で起こっている疑問を表明することができなかったつんつんがいます。そのことを今もなお悔やんでも悔やみきれない思いを抱えながら、その後のTグループの中にいます。
一度、Tグループの場を離れてしまった身の引け目、もう一人のトレーナーに対して立ち向かえなかった気の弱いつんつんのありようからか、グループ全体に支配しているグループの場の力からか、とにかく、その場で立ちすくむことしかできなかった私がいたことは間違いないのです。今もなお、その学生には済まないという思いが頭を巡ります。本当に済まない!!です。
グループのメンバーがグループの流れや雰囲気の中で、1つの方向に流れそうになっているときに、声を上げることができるメンバーは少ないかも知れません。その時こそ、もう一人のトレーナーが声を出す必要があるのだろうと思います。トレーナー相互に、自由にものが言える関係ができている必要があると思います。そうしたトレーナー間の関係ももっとフランクに、Tグループで実現しようとしている民主的な関係づくりや風土づくりをめざしている必要があるのです。
また前提として、メンバーが言えなくなっている状況、そうしたある種のノームが生まれていることに気づき、そこから学ぶことができるだけの許容量をもったグループ運営ができるトレーナーの存在が重要なのだろうと考えています。これらのことは、痛い痛い、私にはとても痛く、きっとそれ以上にメンバーである学生がもっと痛い体験をしたことから学ばさせてもらったことです。一度入ったグループには最後まで、とことんつきあいかかわる!!
トレーナーがTグループから離れることの重大さ、痛烈に、今でもそのことは忘れず自分の心の奥底にいてくれています。(つづく)