Tグループとは No.004 トレーナーにはマニュアルがあったのか?

 私の初回トレーナー体験、とりわけトレーナーAさんとの1週間のTグループ体験から、Aさんがある意味反面トレーナーとして、トレーナーを探求する始まりになりました。

 私には強烈なトレーナーの姿でしたが、この姿が、その後の私のTグループ体験に尾を引くことになろうとはこのときには気づいていませんでした。

 毎年、年に1回ずつニンカン生とのTグループ合宿を開催してきました。そのたびに、私は老練なトレーナーといつも組ませて頂きました。少なくとも数年はひよっこの私にとってはありがたいトレーナーのロールモデルを見せて頂くことになりました。正確に自分がどなたとトレーナー体験を過ごしてきたのかは、古いファイルを取り出してみないとわかりませんが、何人かのトレーナーを通して基本的なありようはそれほど違っていなかったように記憶しています。

 あくまでつんつんの偏見と独断により記載であることをお断りして以下の記事を書かせて頂きます。

 Tグループのセッションの始まりのT1では、トレーナーは口を開かず、数セッションを過ごしていきます。そして、しばらくすると、「『今ここ』に気づくこと」、「『今ここ』でやっていることへの疑問なこと」などを問いかけられ投げかけられることがあったように思います。

 当時、参加者からよくある質問に「トレーナーにはマニュアルがあるのですか?」いうことでした。たしかに、トレーナーは数セッションを過ごすと、「それは気持ちか?」「それは考えていることではないか?」といった問いかけがよくされていたように思います。ただ、私が知る限り、トレーナーがマニュアルを持っていたことはないと思います。トレーナーは、「今ここ」のことに気づき、自分の中で他者の言動に対する反応、特に気持ちレベルでの応答を率直に表現しているかどうかが問われていたのだろうと思います。今も、こうしたアプローチは行われているだろうと思います。

 当時、私も含めてトレーナーになろうとする人は、トレーナーになるためにトレーナー体験を老練なトレーナーと共に体験することを通して、まさに体験から学び取っていたのだろうと思います。よって、マニュアルはないものの、先輩、師匠となるトレーナーの姿がテキストになり、トレーナースキルを身につけていったので、類似の行動(介入)スタイルが生まれてきたのだろうと思います。私も、学生とのTグループ体験において先輩トレーナーと一緒に仕事をして、その人たちの言動を見習って自分のトレーナー技能を磨いてきたものです。

 特に、当時のトレーナーの人たちは、ベニスとシェパードのグループの発達理論を学ばれ、Tグループの中でのメンバーの様子をこのモデルと比較しながら臨んでいたトレーナーも結構いたのではないかと思います。

 「ベニスとシェパード(1965)はグループメンバーとの相互作用において生起する内的不確定性(internal uncertainty)の主たる領域を調べること、すなわち適正なコミュニケーション(valid communication)の発達の障害となるものを見つけることによって、有益なグループの発達理論を構築しました。
 (中略)
 彼らの発達理論は、“依存権威関係”と“相互依存個人的関係”の2位相に分けられ、そらにそれぞれの位相は3つの下位位相から構成されると考えられています。すなわち、第Ⅰ位相の“依存権威関係”には下位位相1:“依存段階”、下位位相2:“反依存段階”、下位位相3:“解決段階”があり、第Ⅱ位相の“相互依存(個人的関係)”には下位位相4:“魅了された段階”、下位位相5:“覚醒段階”、下位位相6:“合意による確認段階”の6つの下位位相を想定しています。」(津村・山口、人間関係トレーニング第2版〜私を育てる教育への人間学的アプローチ〜、ナカニシヤ出版、p.69-74.引用)

 この発達理論にもとづいて、Tグループを運営することから、内的不確定性とは、不安や曖昧な状況の中での参加者の心的な状況であり、その中でトレーナーがどのように振る舞えばよいかを考えていたのではないかと想像できます。

 トレーナーは、適正なコミュニケーション(とは何か?ということは問題ですが)が行われていない問題、課題、障害は何かに気づくように働きかける(介入する)ことが大切な仕事であり、それも初期には、権威に対する依存関係、反依存関係を乗り越えることが主たるテーマになるのだと発達理論から考えれば、トレーナー自身が身を挺してその課題に立ち向かうことを支援していると言えるのだろうと思います。当時のトレーナーはそのように考えていたのだろうと考えられます。

 参加者は、恐る恐るトレーナーに抵抗したりすると、トレーナーはやはり来たかとなり、それに動じないこと、「今ここ」を大事にしていることに一貫することでトレーナーはメンバーと対峙していたのだろうと思います。そして、典型的には、グループの中にいる依存、反依存関係に関わっていなかった独立のメンバーがグループやトレーナーに関わり、それぞれのメンバーやトレーナーも一人のメンバーとして参加するように働きかけられ、和解、解決段階に入っていくことが可能になるといった仮説のもとトレーナーが存在していたと、あくまで推測ですが、考えられます。

 こうした発達モデルを仮定していたことが、あたかもマニュアルがあるかのようなトレーナーの働きかけ(介入)を引き起こしていたのかも知れません。ただ、つんつんは、こうしたトレーナーのありように、少しずつ疑問を持ち始めたのは事実です。何よりも、こうしたメンバーに対峙する(この時代には対決するという表現が多く使われていたような)強い態度を示すことができないつんつんにはとても苦しいトレーナーロールだったのです。(つづく)