何のために・・・この問いに応えること・・・Twitterの世界から
ラボラトリー方式の体験学習を用いた教育実践-学びの場づくり-を行ってきているし、これからも行っていくことになるだろう。
何のために? この問いが今、自分の中で、ぐるぐると回っています。
何度か、このブログにも書き込みましたが、ここ2週間ほど、Twitterの世界に飛び込み、限られた空間ではあるものの、たまたま出会った人たちのつぶやきに圧倒されて、生活していると言ってもいいかもしれないのです。
私のフォロアー関係者は、たまたまスタートした「Dialgue Bar Nagoya」で出会った運営委員や参加者の皆さんがまずスタートの核となっています。そういう意味では、市民運動的な活躍をされている方々といってもいいでしょう。
そして、その仲間たちとつながる政治家の人たち(とりわけ、若い民主党関係者)、この人たちとのつながりが、さらに市民運動の広がりとか草の根的な活動ぶりが伝わってきます。
もう一つのつながりは大学関係者たちのつぶやき群です。これもかなりアカデミックな刺激と同時に、市民運動家や政治家とのフラットな関係の中でのやりとりが妙に私にとっては刺激的なやりとりとして入ってきます。
その他、思いがけないところで検索をしてくださって、津村を見つけてくださった仲間たちで、そっと囲まれているという感じです。
そんな中で、自らつぶやくこともエネルギーが必要であることがここ2週間でわかってきました。この感覚は私にとっては・・・でありますが・・・
また、発するための「何か」を持ち合わせないといけない感じをもっています。
それは、自分がいかに行動的に毎日を過ごしているか?いわゆる伝えること(つぶやくこと)がどれだけ起こっているか?です。
それと、今自分がやっている活動がいかに世に必要性を感じて取り組んでいるかという強い想いが必要であることがわかってきました。
あくまで今のところですが・・・
その中で、「何のために?」この問いが私には必要なのです。
今日ある人のつぶやきの中で、ふと書き込んでしまったのですが、
「人間が生きていて、自分が必要な存在であること」いや「相互に必要な存在であること」このことを実感する学びの場として、ラボラトリー方式の体験学習を用いた教育実践を行っているだという想いがわき上がってきました。
今の社会の中にあって、一人一人が孤立化、孤独化しているといわれる日常の中に、どれだけ相互につながりを感じ、そのつながりからお互いに必要な存在であることを実感し合える場づくりをしようとしているという自分の中で改めてミッションを感じた次第です。