思いがけない出会いが…Tグループを再考するきっかけに
長文になりましたが、関心をもって読んでいただければ幸いです。
昨夜は、人文学部心理人間学科生による卒業記念パーティに出かけてきました。4年間の学びと卒業を共にたたえ合い、楽しいパーティが行われました。
私自身も、2000年4月に南山短期大学から南山大学に移籍して、初めてと言っていいほど、ギターを弾き、大きな声で歌を歌わせてもらいました。何か、私自身にとって、残りの大学での学生との出会いを出来る限り、濃密にそして楽しく過ごしたいと考えています。これからもチャンスがあれば、どんどんと・・・と。
入試も終わり、早い目に合格を出した高校生には入学前学習の課題を出しています。何冊かの書籍の中から、3編の文章を読み、それらに対する感想の提出を求めています。その感想にコメントを書く課題が私にも回って来ました。
担当の章は、小池靖著「セラピー文化の社会学-ネットワークビジネス・自己啓発・トラウマ-」(勁草書房,2007)の第三章「自己啓発セミナー」の箇所が割り当てられていました。
あまりにも、偶然の出会い?一昨日まで出かけていた「Tグループによる人間関係トレーニング」の出来事とオーバーラップして、再度Tグループを考える機会を与えてもらっています。
私自身、10年あまり前1998年4月に現代のエスプリ「『マインドコントロール』と心理学」の特集で、「自己啓発セミナーとマインド・コントロール-Tグループを用いた人間関係トレーニングと似ても非なるもの-」と題して、書かせてもらっていますが・・・
小池氏の著作の中で、自己啓発セミナーの歴史やすすめ方などが語られ、Tグループもその中で、内容に関しては?である部分もありそうですが、語られています。自己啓発セミナー自身は、直接セールス・ワークの領域から生まれたと記されています。
その思想的背景として、ロジャースやマズローの人間性心理学などが語られています。「すべての源」としての自己として、
(1)自分の身にふりかかることはすべて自分に責任があると考える「自力信仰」ともいえる「自己責任」、
(2)自己責任の論理の帰結として「人生はすべて自分の選択である」といううまくいかないのは自分の問題であり、積極的に動き自分が結果を作り出さないといけない、
(3)長い人生の中で作り出された枠組みで物事をみていることから、そのことは、「あなたがあなたの現実を作る」のだと。
これらのことは、Tグループの中で取り扱われる事象としては起こっているかもしれない事象です。
一つ間違えると、Tグループもこのように「すべてのことがらに自己責任で、自分が積極に選び出し、自分の力で現実を作りあげるのだ」という、幻想を創りあげる可能性がなきにしもあらずです。
再度、確かに人間のもつ可能性、自律性は尊重される教育の実現は求められていますが、すべての責任は、自己で、すべてのことは、自分が作り出すことができるという思想からは抜け出さなければならないと、津村は考えています。
まさに、(1)に対する思想として、「他力」だろうと思います。「他力本願」という言葉あるように、他者(尊いもの)の力に任されている、生かされている、自分一人ではどうにもならないということ、他者との関係の中で私自身は成り立っているのだという認識をもつことは大切であると考えています。
(2)の自分がポジティブ(積極的)に動きださないと始まらない、自分が動き出さないとことが起こらないということは、(1)他力であることと矛盾するようですが、他力であるがゆえに、すべて、投げ出してしまうのではなくて、世界と関わる主体として自らの働きかけは大切であるとと考えています。今、ここにいる自分として、できることを、したいと考えることを積極的に行為として示すことは大切になるのでしょう。その関わりの中で、ただ見ている、待っているだけではない世界が開かれてくるのでしょう。しかし、その結果は、自分だけでなく、他者との関係として起こるのです。その認識は大切ではないかと考えています。
(3)確かに自分自身特有の「枠組み」というものは、もっているものです。その「枠組み」をいかに、柔軟にもてるかが大切になるのではないかと考えています。相手に対する枠組み、自分に対する枠組みをいかに自由に受容できるかといったらいいかもしれません。ともすれば、自分に対する「私は話すのが下手である」「私は何も決めることができない」というネガティブなイメージ(自己像)から「私は話すのが得意である」「私は何でも決められる」というようにポジティブなイメージ(自己像)をもつことが一つの成長と言えるかもしれませんが、これを成長とよぶことは適切でないかもしれません。
ロジャース自身、成長は、ネガティブな自己概念からポジティブな自己概念に変化することではなく、いかに、自分の自己概念と今ある体験とが一致していたり、ずれていたりしているか、今の体験を受け入れる柔軟性だと語ってくれています。
このことって、とても大切ことだと考えています。まさに、今ここで起こっている「プロセス(自分の中で、相手の中で、自分と相手と都の関係で、グループで、組織で起こっていること)」に、枠組みを自在にとりながら、キャッチできる力が育つことが成長であるといえのではないかと考えています。先日の、最終日に、津村は般若心経の最初の言葉「観自在」にはこのような意味があるのではないかというお話をしました。
まさに自己啓発セミナーでの思想とは正反対の思想が根付いているのがTグループだと考えています。私自身は、自分が描いたようなことを、実現できるようなTグループの実践と理論付けがさらに必要になってくるだろうと、考える機会をもらいました。
そしてさらに、Tグループを実践する者にとって、注意と戒めを課さなければいけないのでは、考えることもできました。自己啓発セミナーだけでなく、個人の成長をめざしてきたヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントが、逆に、個人の成長をとどめてきたのではないかといったことを、小池が語ってくれています。
私が思うには、いろいろな意味において内向きになればなるほど、小池氏のいう「自己の可能性を開くはずの実践が自己の可能性を閉じさせてしまう」ということを起こしているかもしれません。
そのことより、Tグループのことを考えると、民主的な風土やコミュニティ(組織)の変革を目指すためのTグループによるアプローチが、自己理解、自己成長にだけに向けたトレーニングになってしまえばしまうほど、現実世界とのつながり、現実世界の変革をめざしたトレーニングが、閉鎖的な世界を創りあげるトレーニングになる危険性をもっていると言うことではないでしょうか。
いかに他者との関係に開かれたトレーニング、現実世界とのつながりを大切にしたトレーニング、トレーニングがオープンシステムで行われるような工夫が今後もっともっと必要になってくるように思います。
非常に長い文章になってしまいました。最後まで読んでいただいた方はありがとうございました。