Tグループとは No.077 誕生から75年さらなる発展のためのパラダイムシフトに向けて:ナラティヴ・アプローチ(Narattive Approach)とは(5):Kouさんの9つの視点(Part_2)

(3)ストーリーにはディスコースが深くかかわっている

 「ディスコース」とは、「私たちの話すものの対象を形成する実践(practices which form the objects of which they speak)」(Forucault, 1972, p.49)と記されているとのことです。

 Kouさんは、ビビアン・バーの定義を借りて「ディスコースとは、何らかの仕方でまとまって、出来事の特定のバージョンを生み出す、一連の意味づけ、表象、イメージ、ストーリー、声明文などを示す」(Burr, 2003)と記しています。

 ナラティヴ・セラピーでは、私たちは「まっさらな状態で、自分だけの判断で、ものごとを解釈する」という見方を否定するのです。つまり、私たちは、一人ひとりの日常の生活の中にある「ディスコース」によって、物事を判断したり体験を語ったりしています。そのディスコースとは、その人にとって、または人々にとって「常識」や「当たり前」とされていることと言ってもいいかもしれません。「男ならこんなことができて当たり前」「女なら・・」「子どもは学校に行くもの」「企業人なら・・」「営業マンなら・・」と公に言われていることであったり、小さな時から言われ続けて育てられてきたものもあったりするでしょう。

 そうした「常識」や「当たり前」の枠組みの中で生きられているときは、そのディスコースも気にすること無く生きられているかも知れませんが、そのディスコースと異なる行動をしたり発言したりすると、その「当たり前」からの逸脱したことへの罪悪感であったり、情けなさであったり、恥ずかしさであったりを経験するものです。

 ナラティヴ・セラピーでは、ものごとの理解はこの「ディスコース」によって私たちにもたらされますが、一つだけの「ディスコース」があって、一つだけの理解があるのではないと考えています。さまざまな「ディスコース」が存在して、それらの「ディスコース」によってもたらされる理解が異なってくるということです。

 ナラティヴ・セラピーでは、今自分がとらわれていることは、どんな「ディスコース」なのか、それからどんな相互影響を受けているのかを探求し、自分が主体性を発揮できるその他の「ディスコース」を受け入れ、自分の今、過去、未来をセラピストの問いかけをきっかけに語ることができるようなるのです。(つづく)