Tグループとは No.028 “今ここ”のプロセスに働きかけるトラップ(trap:落とし穴)がいくつもある

 Tグループの中でトレーナー(ファシリテーターともよぶ)は、メンバーと共に“今ここ”に光をあてながら相互のかかわりを深め、学ぶことを支援するわけですが、その働きかけ(介入)にはトラップ(trap:落とし穴)があると考えています。

 例えば、長年トレーナーを体験し、Tグループのセッションを続けていると、その時の“今ここ”で起こっているそのプロセスに感受性が低くなる可能性があります。トレーナーは、「このことはよくあること」、「セッションの始まりにはこのことは起こること」など、参加者のナイーブな気持ちの変化とは異なる見方で居続けることが起こりえます。このような見方をもつことにより“今ここ”で起こっていることを見過ごすと言ってもいいですし、“今ここ”で起こっていることをどのプロセスとも同じような価値あるものとして見ないことが起こる可能性があると思うのです。その結果、参加者のナイーブな“今ここ”は取り扱われずに時が過ぎることがあるかもしれないのです。

 時には、光をあて損ねるだけでなく、その意味づけも「参加者は逃げている」「この体験を通り過ぎたところに学びがある」などとトレーナー(ファシリテーター)が解釈して関わる可能性があるのです。いつも初心の気持ちで、セッションの中でトレーナー(ファシリテーター)は居続けることが求められていると考えています。
 また、異なるトラップには、私たちトレーナー(ファシリテーター)は、参加者がやっていないことや発言と一貫していないことなど問題や課題に意識が向けられがちになるということがあります。

 例えば、トレーナー(ファシリテーター)は、最初の時に言っていたことと“今ここ”で話していることとの間に一貫性がないことに気づきやすく、そのことを指摘しやすくなる可能性があります。私たちトレーナーは、以前のことと今のこととの一貫性がないことに関心が向きがちですが、一方最初と今と異なっていたとしても、“今ここ”でそのことを話したくなっている、「その“今ここ”のプロセス」に光をあてる働きかけ(介入)が大切になることもあります。「一貫性がない」と思っているのは、トレーナー(ファシリテーター)であって、該当の参加者には特別の意味をもっている可能性があるのです。素朴に、“今ここ”で起こっていることに光をあてることがトレーナー(ファシリテーター)には求められているのです。

 また、「やっていないこと」を拾い出し、指摘したくなる“今ここ”への働きかけのトラップがあります。私たちは人とのかかわりだけでなく、日常の行動の選択においてやった行為は1つで、やれないことは山ほどあります。それゆえ、トレーナー(ファシリテーター)が、「やっていないこと」を見つけるのは容易ですし、指摘はしやすいです。また、「やっていないこと」を指摘されると、参加者には「とても痛いところを突かれてごもっとも!!」と「先生ありがとうございます」となるか、「そんなことわかっていたわ!!」と心の中で抵抗を抱くようになるか、「そのことが必要だったのか!!」と「自分は間違ったことをした」と思い、「では何をすればよいのか」とある種の正解をさがすことになるかも知れません。

 このようにトレーナー(ファシリテーター)による問題行動の指摘は、メンバーとトレーナー(ファシリテーター)との関係を対等な関係から上下の関係、主従の関係に傾かせる可能性があります。やっていることはダメで、やっていないことを考える必要があるとメンバーは考え、トレーナー(ファシリテーター)の顔色を見ながら、「何をここでやるべきか?」を探し始める可能性があります。自主性・自発性を大切にしようと思っているにも関わらず、逆のことが起こっている可能性があるのです。

 そのことを避けるために、メンバーが自発的な行動を起こして、グループの中に何かが生まれた時に、その行為に光をあてることが大切ではないかと考えています。さらに、その行為の影響をメンバーと共に吟味することができれば、メンバーの行為を肯定的に捉えることができ、“今ここ”で取り組んでいることへの関心がポジティヴな方向に向けられ、“今ここ”で起こるプロセスに実感を伴って理解する可能性があります。

 まだまだ、“今ここ”に光をあてることのトラップはありそうです。

 最後に、私の貴重な体験で、心の中で残っており、私にとってプロセスを最後考えさせられたとても大切なシーンを記しておきたいと思います。
 グループのセッションが何回も進み、お互いの理解が深まっていく中で、メンバーの中に思考能力が高く概念的な説明を好む方Aさんがいました。一方、気持ちレベルで応答することを志向するBさんがいました。そのBさんが相手を深く理解することを願って、熱心にAさんのことを理解し、近づこうとする場面がありました。その時に、Aさんが今考えていることを丁寧に少し苦手な言葉を苦心しながら説明を重ねながら話しかけていたのです。そのような場面を見て、つんつんは、「もっとシンプルな言葉で、気持ちを表現してみたら・・」と言ったのです。Bさんから「それではAさんに伝わらないと思って、苦手なんだけど、できる限り、Aさんに伝わることを願って言葉で説明しているのです・・」と。そのようにしてまでAさんがBさんのことを理解しようとしているその姿を目の前にして、BさんはAさんの思いを受けとり受け容れることができた瞬間が生まれたのです。

 つんつんは、「今の気持ちをシンプルな言葉で・・」という“今ここ”の決まり文句的なトラップにかかった働きかけをしてしまったのです。まさに“今ここ”に起こっているプロセスの中で生きることの難しさと素晴らしさを実感した瞬間でした。「ああ言えばいい・・・」「こう言えばいい・・」という方法論の提示がなんてむなしいことでしょうか。“今ここ”に起こっていることそのものを曇りのない眼と心で観ることの大切さを教えてもらった“今ここ”の大切な体験でした。(つづく)